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彼との約束を果たすため、というのはいささか大袈裟だが、今年もまた彼らの土地へ雷魚釣りに出掛けた。そこにあるフィールドは雰囲気が良く、私が一番リラックスして釣りが出来るお気に入りの場所だ。私は同じフィールドへ繰り返して釣行をしないため、訪れる時にはできる限りフィールドコンディションと天候の良い時期を選び、そのフィールドでの釣りを満喫できるようにしている。だから今回の釣行も梅雨が明け、夏本番の頃に設定していた…つもりだった。

昨年の9月の出来事以来親しくなった彼とは、度々電話で話しをする間柄になっており、その電話の度に「今度はいつ来る?」と尋ねられていた。

その度に、「夏になったら」「梅雨が明けたら」「8月になったら」といった具合に答えてきていた。先延ばしにしているような答え方ばかりをしてきていたので、「今回は天気が悪いので…」と断ることができなかった。

予定を立てた時の天気予報は晴れだったが、出発の3日前になるとその予想は一転して雨となった。その地方での釣りはいつも天候に翻弄され、貧果に終わっており、この天気の中で釣行すれば、今回もまた同様の結果になるだろうことは容易に想像できた。いくら釣果だけがこの雷魚釣りの目的ではないとは言え、雨と知りつつ片道8時間以上に及ぶ運転をするのは酷だ。

唯一の朗報は、降水量は数ミリ程度と予測されていたことだった。快晴よりは好結果が生まれるはずだと自分に言い聞かせることができた。しかし、そんな私の前向きな気持ちを打ち砕くように、目的の地方に近づくにつれて天候は悪化していった。トンネルを抜ける度に雨が激しくなり、最後には激しい豪雨によって前方どころか、路面すら見えなくなった。

生来の「晴れ男」である私の神通力なのか、目的のインターチェンジに着く頃には雨が止んだ。「釣りに来たのですが、雨は強く降りましたか?」と料金所の人に尋ねると「ついさっきまでは強く降っていたけんど、止んだみたいだ。多分もう降らないさ。」とおじさんが笑顔で答えてくれた。しかし、空はどんより曇ったままで、おじさんの笑顔とは正反対に今にも泣き出しそうな感じだった。そして、雨後の強風が高速脇の吹き流しが真横になるほど強くビュービューと音を立てて吹いていた。

「あーあ、雨が止んでもこの風じゃあ釣り不能に変りないよ。」と愚痴をこぼしながら料金所を後にした。そして、水溜まりが残る濡れたアスファルトの上をフィールドを目指して車を走らせた。

彼のガソリンスタンドに着いたのは午後7時を回っていた。都会では見ることの無くなったShellの古いロゴの電光看板からはレトロな雰囲気が漂っており、古いもの好きな私にはたまらなかった。既に閉店の時間を過ぎていたにもかかわらず、私がガソリンを入れるのを待っていてくれたようだ。

スタンドに着くと彼の姿はなく、彼のお袋さんが店番をしていた。私は自己紹介をし、今晩お世話になることを伝えた。しばらくして彼が裏の方から現れ、私たちは久しぶりの再会の挨拶をした。

「太ったんじゃない?」

「そうさー、太ったさ」

もともと体の大きな彼が一段と大きくなっていた。そして久しぶりの会話はそこそこに、町営の温泉で汗を流そうということになった。

「セブンはどうしたの?」

「ああ、あれはもう売ったさ。今はこのマークII。車道楽は止めたさ。」

温泉に向かう彼の車の中で、今迄の車遍歴を聞いた。セブン、GT-Rなど高額なスポーツカーを何台も乗り継いでおり、かなりのお金を使ったという。「自分もいい年だから、落ち着かないと」と言いながらも、ガソリンスタンドの経営が大変だということを漏らしていたので、まじめな彼は乗りたくても我慢しているのだろうことは分かった。

温泉は町の施設のため、そこに来ている人は皆彼の顔見知りだった。「あいつはXXXの後輩」「彼はXXXのXXX」など、紹介を始めたらきりがなかった。また、露天風呂に入りながら、遠くに見える街の灯かりを指差して、それがどこの街なのか説明してくれた。彼は、どこに行けば誰がいて、自分の町には何があり、その町の周辺には何があるのか熟知していた。それは都会生活にはない、人と人、人と町のつながりなのだろう。

温泉に入った後、隣町で食事をし、彼の行き付けのスナックに飲みに行った。そのスナックは町の商工会仲間が経営しており、人のいいマスターや女の子達との会話は楽しかったし、良心的な料金にも驚いた。この土地には、だらだらとした澱んだ時間の流れはなく、彼ら土地の人達が心地よく過ごせる居心地の良い時間だけが流れているように感じられた。


スタンドの隣にある彼の家に戻った時には夜の12時を過ぎていた。屋敷と呼ぶ方が適切であろう彼の家は敷地面積が2000坪もあり、築100年以上が経過しているという家や蔵からは重厚な雰囲気が漂っていた。屋根裏に続く階段、土間、古い仏壇など、今ではほとんど目にすることの無いものがそこにはあった。そして、静まり返った家の中で、壁に掛かる古い時計から漏れてくるカチッカチッという音を聞いていると、100年前にタイムスリップしているのではないかと錯覚しそうになる。

現代の家は、2DKだとか3LDKというように部屋の集合体だけれど、昔の家はそうではない。そこには部屋という壁に区切られた空間はなく、ところどころに柱が立っているだけの広い空間があった。それは、家族が1つ屋根の下に住んでいることを教えてくれる。

起きているのは私たち以外にいないため、電気が消されてしまった家の中は真っ暗闇だ。歯を磨く洗面所やトイレの場所を私に教えながら、暗闇を足早に歩いていってしまう彼の後をついていくのは至難の技だ。

「ちょっ、ちょっと待って。真っ暗で何も見えないよ。どこにスイッチがあるの?」

「ドカッ!」

「痛てて…。ちょっと待って…」

まるで目隠しをされ、両手を前に出し、柱や家具にぶつからないように手探り状態で歩いているような私を尻目に彼はどんどん先に行ってしまう。夜でも明かりに照らされている都会生活者は夜に目が見えないというのは本当だ。蛍光燈、ネオン、パソコンなどに24時間囲まれて生活している私は夜盲症なのだろう。

寝室は母屋では無く、土間の向こうにある「蔵」の中だった。

「へぇー、すごいな、蔵の中で寝るんだ?」

「夏は涼しくて、冬は暖かいから最高さ」

「何かわくわくするね。でもさー、お化け出そうだけど…」

「ははは、出ない出ない」

石でできた入り口の階段を上ると、銀行にある大金庫のような分厚い扉があり、その向こうには年月を感じさせるこげ茶色の木の廊下がある。その両脇には棚があり、昔からその家に伝わる古い骨董品が数多く納められていた。その棚のそばには、彼が中学生時代の野球部の写真やスキー部の頃にとった数々のトロフィーが飾ってあった。

悪天候の中、強行しての釣行。強風と雨で釣りにならなかった日。晴れたにもかかわらず、農薬散布のヘリに頭上から攻撃されて退散を余儀なくされた日。スナックから帰る途中、車の窓から見えた星空。布団に横になりながら、今回の釣行を振り返った。そして、明日の朝マズメこそは釣りがしたいと強く思ったが、私だけ勝手に早起きをして出掛けることはできないと思ったし、それ以上に大事にしなければいけない時間があると思い、成り行きに任せて出発することにした。

私は蔵の中の心地よい空気に包まれて、あっという間に眠りに落ちた。ヒートアイランド現象のため、夜でも30度近くある都会の夜のような寝苦しさはなく、私は久しぶりに深い眠りを味わった。


庭の木々で激しく鳴くセミ達と、カラスの大きな鳴声で目が覚めた。蔵の上の方にある窓からは薄日が差し込んでいた。暑い夏の朝を迎えているにもかかわらず、蔵の中は昨夜と変らず涼しいままだった。

「よく寝れましたか?」

「いやー、こんなにぐっすり眠れたのは久しぶりですよ。でも、犬の鳴き声がちょっと煩くなかったですか?」

「あー、コロだべ。いつもと違う場所につないでおいたらさ、鳴き続けたんだ。だから、鳴き声が聞こえない場所に連れてったさ」

すでにコロは昼間の定位置につながれており、私が近づくと激しく吠え立てた。

「ごめんな、昨夜は眠れなっただろ?」とコロに話し掛けても、お構い無しに吠え立てる。

「触るとかじられるさ。注意してくださいよ」

コロは私がカメラを向けると更に激しく吠え、首につながった鎖の長さいっぱいまで前に出てきて戦闘態勢に入っていた。


朝食後、お袋さんが蔵のことや家のこと、そして重要文化財に指定されてもおかしくない非常に珍しい玄関のつくりについて話してくれた。そして、田舎暮らしの大変さも教えてくれた。地域に根差した商売の難しさ、冬の大変さ、過疎化が進む町、老朽化した家の維持、2000坪の税金など、観光で訪れることしかない私には想像できない苦労がある。雷魚を釣るために、会社を何日も休み、わざわざこんな田舎まで車で来ている私は、彼らの目にはとんだ道楽野郎に見えているのだろう。そんなよそ者の私に対しても、親切に接してくれる人たちにあらためて感謝した。そして、そういった心遣いで胸がいっぱいにもかかわらず、お土産に近所の酒蔵で作った地酒と、畑で獲れた大きな西瓜を丸ごと1つくれた。

盛夏の一番いい時間を釣りではなく、その土地に触れることに費やした。もちろん釣りをしたし、フィールドで過ごす時間も楽しんだ。そして、とりあえず雷魚も釣れた。サイズも数も行程やそれに伴なう費用や労力を考えると、貧果ということになるのだろう。でも、それ以上にその土地で釣ったという満足感と充実感があり、とても楽しい思い出になった。

釣り仲間からは「また釣れなかったのか?」と言われ、「ああ、また釣れなかったよ」と答えている。

「毎回毎回、釣れない釣れないと言っているけど、それじゃあ釣りにならないじゃないか?」

「そうなんだよね」

と答えながら私の目は笑っている。

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