Hope for Next Generation
毎年恒例の夏の遠征雷魚釣りが、残念ながら友人の仕事の都合で実現できなくなったため、それならばということで自宅から1時間以内で行ける大河川の河口付近でハゼ釣りをしようということになった。

昨年、その友人が誰にでも手軽に、そして子供でも簡単に釣れるという条件を満たす釣り場ということで、その河口付近のハゼ釣り場を探し出していた。彼が言うには、ワンキャスト・ワンヒットで数時間やれば100匹以上釣れるということだった。昨年の年末に集まって食事をした際に、夏の遠征雷魚釣りに一緒に行けそうもないということだったので、その話を聞いた瞬間に、夏はそれぞれの子供を連れてハゼ釣りをしようということに決まっていた。

夏の遠征雷魚釣りは僕一人で行ったのだが、あまりにも釣れない状況にストレスが溜まっていたため、そのハゼ釣りで爆釣し、鬱憤を晴らすつもりだった。


釣行する日はお盆休み。長引く梅雨のために、ほんの2週間前までは梅雨の影響で毎日ぐづついた天気が続いていたが、お盆になると連日真夏日となり昼間の気温は37度に達するほどだった。そんな真夏日には午前8時には気温は30度を越えてしまうので、できる限り早く出発したかったが、幼い子供達を起こして準備をすることを考慮に入れて、出発は午前6時と決めた。

メンバーは私と友人2人、そしてそれぞれの子供達を含めた総勢7人。しかも3歳の子供を2人含んでおり、釣りをするよりも子供の面倒を見る時間が長くなりそうだった。そういった状況のため、僕は釣り道具を持っていかず、友人と交代で釣りをすることにした。大人3人で行く雷魚釣りからは想像もできない、テンションの低い、ほのぼのとした釣行となった。

朝8時ちょっと前に近所に住む友人の1人が赤い新車のミニバンで僕の実家に迎えに来た。僕の息子と同じ3歳の彼の息子が助手席のジュニアシートに座っていた。僕は自分のステーションワゴンからジュニアシートを取り外し、友人のミニバンの後部座席に取り付け、3歳の息子を乗せた。そして僕の実家から30秒ほどで行けるもう一人の友人宅へ向かった。

到着すると、今回一番気合の入っているというその友人の小学生の息子が僕達の来るのを玄関先で待っていた。挨拶もそこそこに、走行ルートを確認し、僕達7人は2台の車に分乗して出発した。



出発して数十分で目指す河口に到着した。既に何人もの人が釣りをやっていた。河川敷に車を入れ、川の土手に車を停めた。大河川の河口付近のため、川幅が広く、3歳の息子は海と間違えるほどだった。岸沿いには防波コンクリートが沈んでおり、その上まで水が来ている。干潮のため水位が下がっていたが、満潮になれば土手の手前まで水位が上がってくるようだ。川岸はコンクリートで護岸されているが、そのコンクリートと土手の間には葦が茂り、無数のカニが歩いていた。川の向こう側には山々が見え、その山の頂上付近には夏らしい白い大きな積乱雲が発生していた。

僕達はタックルをセットした。投げ竿にジェット天秤という組み合わせを使うのは20数年振りだろうか。餌の磯ゴカイをつけて友人達がキャストを開始した。アクシデントの時を考えて、針はもちろんバーブレスにした。ワンキャスト・ワンヒットで100匹という話だったが、キャストを繰り返し、餌を何度付け替えても全く釣れない。

「おいおい、どうなっとるんだ。ハゼまで釣れんのかよ」

「雷魚は釣れんし、ハゼも釣れん。結局何をやっても釣れんのかよ」

「まだシーズンが早いかも・・・」

そんなこんなで30分くらいが経過した時、「ゴミだ」と言って巻き上げていた友人のロッドに2匹のハゼが掛かっていた。

「ゴミかと思ったらハゼだった」

「ガハハハ」



魚が釣れないので、土手の上でトンボやバッタ採りに熱中していた子供達はその最初の2匹を見て興奮した。バケツに水を汲み、その2匹のハゼをその中に放すと、子供達は手で捕まえようと必死になっていた。
普段目にするのは水族館の巨大なアクリルの水槽の中に泳いでいる非現実的な状況の魚たちか、自宅にいるキンギョなどの観賞魚なので、生きている魚を手で触る機会が少ない。

今回は釣った後に食べるので死んでしまっても構わないため、子供達に存分に触らせることができる。3歳の息子達はハゼを手で掴み、自分の手の中で動く魚をマジマジと見ていた。

その後も超渋い状況は変わらず、狙うポイントや誘い方、餌の付け方などを工夫して釣りを続けた。餌の磯ゴカイを長めに垂らすとアタリが出やすいとか、深みのあるエリア、遠めのエリアなど、いろいろとやってみたが、その状況を打破することができない。そんな中、バス釣りを経験している友人の小学生の息子は、ロッドやリールの扱いが上手く、数匹のハゼをキャッチした。それとは逆に3歳の息子達は未だ釣り自体を認識することができないので、釣りをするという行為には興味を示さない。釣り上げられるハゼという魚を触ることに興味がある程度だ。
しかし、僕達がリールのハンドルを回す行為には興味があるらしく、しきりにハンドルを回させろとアピールをする。

僕は誘いと巻き上げを子供の手をとって一緒にやり、運良く2匹のハゼを釣り上げることができた。3歳の息子は「釣れた、釣れた」と喜び、一応は自分が魚を釣り上げたという認識をしているような感じだった。そして針を外したハゼを一生懸命バケツまで運んでいた。



その日のハゼ釣りは3時間ほどがんばってみたが、釣果はたったの14匹。3家族で分けるには少なすぎるので僕がまとめてもらうことになり、天ぷらにしてその日の夕食にした。

釣った魚を食べるのはかわいそうだよと言う娘の横で、ちょっと不思議そうな顔をしながら自分の釣った魚を食べていた3歳の息子は一体何を感じたのだろうか?そんなことを3歳の息子に聞いても答えが返ってくる訳でもなく、何年後かに聞き直しても覚えているはずもない。
彼の記憶の片隅に壁掛け写真のように、日常では気に留めることのないオブジェクトのような存在で残されていくだけなのだろう。見たこともない大きな川へ行き、ミミズのようなへんてこな餌を付け、リールを巻いて釣り上げ、バケツの中で泳いでいた魚が天ぷらになって自分の口に入っていく。
怪訝そうな目をして食べている息子を見るのはおかしかった。



その日の帰り道、車の中で僕は友人と子供と一緒にできる釣りについて話した。

「ハゼ釣りも難しいな」

「タイミングさえ良ければ、わんさか釣れるのだけど」

「どんな釣りも難しくなっているのかもね。今年一人でクリークへ雷魚狙いに行ったけど、知ってのとうり散々だった。その時感じたけど、予想以上にフィールドの消滅が早く、子供達と一緒に雷魚釣りができないような気がしたよ。クリークなら釣り易いから子供と一緒に雷魚釣りができるかと期待していたけど、こんな状態だと自分達すら行きたいと思わなくなるよ」

「その点、海釣りはいいよ。それなりに釣れるし、釣ったあと食べることもできる」

「でもハゼ釣りを3人で3時間やって14匹じゃあな・・・」



25年来の友人達と今日も一緒に釣りに行き、そして自分達の子供達も一緒だ。そして僕達の子供同士が仲良く遊んでいる姿を見るのは本当に微笑ましい。自分達と同じように友人関係になってくれるのだろうか?ハゼやバス釣りではなく、皆で雷魚釣りに行くことができるのだろうか?

僕の場合、他の釣りでは無く、真夏の雷魚釣りに行きたいのだ。

なぜか?雷魚釣りが好きな人には分かると思うけど、水面から聞こえる食用カエルの鳴き声、それをかき消す捕食音、草むらから聞こえる虫の音、肌を焼くような暑い夏の日差し、流れる汗、緑色の田んぼに沈んでいくオレンジ色の夕暮れなど、夏の雷魚釣りではいろんな、音、色、匂いなどを感じることができる。
そしてそういった情景は雷魚が釣れても釣れなくても長い年月が経った後も記憶に残っている。子供の頃の虫採り、川での魚採りの延長線上になるのがこの雷魚釣りだと思う。
自分の足でクリークや野池の周辺を歩き、雷魚の気配を感じ取ってフロッグをキャスト、捕食音とともに消えるフロッグ、フックアップとともに始まる激しいヘッドシェイク、釣り上げた菱団子の中から現れる巨大な頭、その魚体とはアンバランスな可愛い目など、心に残る釣りができるのは僕にとって雷魚釣りしかない。

そんな雷魚釣りを友人とそして自分達の子供達と一緒に楽しめる日が来てくれることを願って止まない。


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