Who knows our future ?
これだけ雷魚をとりまく環境が急激に悪化しているにもかかわらず、それに反比例するように雷魚を釣ろうとする人が増えている。こんな悲惨な状況下においても、今から始めるというのは、この釣りの本質を理解した上でチャレンジしようとしているのか、それともメディアに煽られているのか、どちらだろうか? もちろん私は前者であって欲しいと願っているし、この雷魚釣りをとりまく現状と、その本質を理解したうえで楽しんでくれるのであれば嬉しいことではあると思う・・・・・しかし、残念なことだが実際は後者だろう。


2000年を境に、メーカーが大挙してこの雷魚釣りに参入し始め、アンダーグラウンドな釣りが一躍表舞台に持ち上げられた。この釣りは今に始まったものではなく、バス釣りと同じくらい長い歴史をもっているが、30年以上の間ひっそりと楽しまれてきた釣りだった。それは、雷魚が減少の一途を辿っている状況から考えて、その昔から商売に向かないと思われてきていたのだろうし、バスに注力したほうが儲かると考えられていたからだろう。

ところが、昨今のバスブームの衰退、メーカー間での過当競争など、バスだけでは食っていけなくなった状況が、雷魚釣りへの参入を誘ったとしか考えれられない。私はメーカーの雷魚釣りへの参入の是非を論じようとしているのではなく、彼らのアプローチの方法に疑問があると言いたいのだ。


誰の目から見ても、釣り人とフィールド、雷魚の数のバランスは大きく崩れている。そして、売られているタックルはユーザーの数を考えると多すぎるとしか思えない。このようなアンバランスな状況下において、メーカーは、より多くの人に雷魚釣りをしてもらうことによって、需要と供給のバランスを保とうとしているのだ。それは、雷魚やフィールドという資源を無視している。メーカーがフィールドの維持に対して何かアクションを起こしているか?それはNOだ。メーカーが雷魚釣りをとりまく現状をユーザーに正確に伝えているか?それもNOだ。

そんな状況で、この雷魚釣りを楽しんでいこうなんていうのは、甚だおかしな話しだと思う。


雷魚釣りは、釣れない釣りだ。フィールドも魚も極端に少ないからだ。また、フィールドを探すのには困難が伴なうため、バス釣りのような軽いノリではできない。そんな釣りだからこそ釣れた時の喜びが大きいのだ。そしてそこに、この雷魚釣りの本質がある。

アンダーグラウンドで、マイナーな釣りであった頃は、この本質を理解したうえで楽しんでいる人が大半を占めていた。それが、釣果を誇示するようなビデオやTVの影響で、この釣りの本質を伝える前に、「たくさん釣れる」「簡単に釣れる」「おもしろくて楽しい釣り」というイメージだけが浸透したために、興味本位でバスタックルで始めてしまう人や、間違った認識で取り組んでしまう人を増加させた。そして、「フィールド探し」というこの釣りの一番重要な部分は全く伝わっておらず、ビデオやTVでは収録された地域名がなんのためらいもなく公表されている。
それはなぜか?雷魚釣りを始める時の障壁は「やりたくてもフィールドが分からない」「フィールド開拓が大変」ということだからだ。これさえ取り払ってやれば、意外とすんなりと入って行ける。そして、雷魚釣りを始めてもらわなければ商売にならない人たちは、メディアでフィールドのある地方名を公表した。

ビデオやTVを見た人はその地方を訪れ、フィールドはハイプレッシャー化し、そのハイプレッシャー化した状況下で釣るために、我先にとカバーが張る前から攻め始めるようになった。
また、農道を塞いでしまう駐車、田畑へ侵入する大勢の人、モラルの欠ける人たちによるゴミや吸殻の投棄に見かねたその土地の人たちによるフィールドの水抜きや網入れによる雷魚の駆除。もちろん、バスの違法放流によるフィッシュイーターの駆除も行われるようになった。

この狭い日本では、パラダイスなんて残されてはいない。どこへ行ってもハイプレッシャー化しているし、フィールド自体も消滅し続けている。こういった状況下でいかにして雷魚釣りを楽しむのか?それこそが、メーカーやこの釣りで恩恵を受けている人たちが伝えていかなければならない事だと思うし、フィールドの維持にもっと尽力すべきだと思う。釣り業界は自然から恩恵を受けているにもかかわらず、逆にそれを破壊することに荷担しているように見えるのは私だけだろうか?



地方名を公表したビデオで名を売り、その後ビジネスを展開した人もいる。彼が名を売った代わりに失ったものは非常に大きい。その地方の人たちの事を考えたことがあるのだろうか? 一体そのことを彼はどう感じているのだろうか?その時にはまさかここまで影響が出るとは思っていなかったとは思う。せめてもの償いとしてフィールド維持に尽力して欲しいと思う。

つい最近では、ビデオの影響で荒廃が進んだ地方にもかかわらず、「期待度の高いフィールド」という内容で、心無い人によってフィールド名を明記した記事がメディアで紹介されていた。これもまた有名なアングラーによる行為だ。

フィールドや雷魚の数よりも釣り人のほうが多い現状では、フィールドを公表してしまってはバランスが大きく崩れてしまう。フィールドを非公開にするのは、ハイプレッシャー化しないためでもあるが、「フィールド探し」をすることがこの雷魚釣りの面白さでもあるからだ。そういった基本的なことを理解しないで、「釣る」という行為だけが先走っている現状に警鐘を鳴らさなければいけない。

釣り業界が、目先の利益だけを追求するために数多くの大切なものを失ってきたにもかかわらず、この後に及んでも同じ過ちを繰り返そうとしている。琵琶湖における滋賀県の再放流禁止条例は、バサー自身にも責任があるが、それ以上に、利益だけを追求してきたメーカーの責任は大きい。琵琶湖以外にも、バスを駆除するために水を抜かれ、干されたフィールドは星の数ほどあるし、釣り人のマナーの悪さによって釣り禁止にされていくフィールドも後を絶たない。



釣りは自然と触れ合うということよりも、「釣果」という自己満足を追求する遊びに過ぎないと思う。だから、「自分が釣れさえすればいい」という考えに陥り易いし、メーカーもそういった釣り人の「欲」に便乗しようとしてしまう。減りゆく自然、増え続ける欲望、それをビジネスにしようとするメーカーや業界全体。一体この先どうなってしまうのだろうか・・・・・

5年後、10年後、その時にも今と同じように雷魚釣りをすることができているのだろうか?それは、我々一人一人の行動が決めるのだと思う。

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